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改めまして。

 投稿者:にしき  投稿日:2015年 8月25日(火)03時41分5秒
  みなさま、ご無沙汰しておりました。

気分を改めまして、この「錦の光掲示板」に書き込みを開始いたします。

来たる八月三〇日は、私の七十五回目の誕生日です。

よくもまあ、これまで生きてきたものです。

近況報告。 ① エッセイなどの短い文章は書き続けています。小説を書こうと試みているところです。

        ② 故郷・八女で発刊されている季刊誌「黄櫨」に、「つれづれ思い出すままに」と題する思い出話を、毎回投稿しています。

        ③ 文章力をつけるために、プロ作家(村田喜代子さん)の文章教室に参加して学んでいます。

        A ヨーガ教室に週に一回参加して、プロの先生(中村まさこ)から「調心、調息、調身」を習っています。

        B 依然として糖尿用と付き合う毎日です。合併症を寄せ付けないために、血糖コントロールに努めています。

        C 加齢とともに足腰が弱ってきました。転ぶことしきり。脳力も低下しつつあり、二足動物としての生命生活の維持・寝たきり防止が課題です。

今日は大型台風の襲来で、気圧が乱れているようです。頭も冴えません。 深夜なので、これにて失礼いたいます。 皆様、お元気で! 今後もヨロシク!

 
 

今年も桜は散りゆきます。

 投稿者:にしき  投稿日:2014年 4月 1日(火)07時03分7秒
  昨年のカキコミを読みかえして、驚きました。

ほぼ同じ時期に桜が散りはじめたのです。そして、4月1日の今日はもう、葉桜になってしまいました。

花びらが散ったその箇所から若葉が顔を覗かせて、日に日にその葉が増えていくのです。

桜色に染まっていた木が、徐々に緑色に変わっていきます。

我が家の玄関先でその様子が見られるなんて、ちょっと、贅沢な気がします・・・ね。

今年も、桜が咲き始めた頃から、ウグイスの囀る声がしきりに窓の外の空気を震わしていました。

消費税の値上げは17年ぶりだとか。庭の木も花も鳥も、人の世のざわめきとは無縁に季節を告げます。

さて、このカキコミを再開してみましょう。

よろしく。
 

早春のいぶき。

 投稿者:にしき  投稿日:2014年 3月 2日(日)09時05分59秒
  掲示板へのカキコミを2月は一度もしませんでした。

何だか忙しい日々を過ごしています。それと、PCの調子もイマイチなのです。

玄関の染井吉野の花芽が膨らみ、庭に植えている木々の花も、早春を謳歌しています。

サクランボの実のなる桜は、もう満開を過ぎました。

昔園芸店で購入した珍しい種類のクレマチスが、次々に花を咲かせてくれます。

手入れをしていないのに、よっぽど土に合っていたのでしょう。

草の芽を旬に戴くのは身体に良い、だから、薬という時は草かんむりの下に楽と書くのだと、

今朝のNHKの俳句の番組の中で聞きました。

旬・・・しゅんという言葉を、今朝はほのぼのとした気持ちで味わいました。
 

謹賀新年。

 投稿者:にしき  投稿日:2014年 1月19日(日)16時36分11秒
  2014年の1月も、もう後半になっている。今年は夏になると私の年齢は満で74歳になる。
よくぞここまで生きてきたもんだと、自分で感心している。というのも、私の両親もきょうだいも長生きしていないからだ。
両親はともに60代で死去。兄5人のうちで70代まで生きたのは3番目の兄だけである。満75歳になったばかりだった。
長兄は33歳、次兄は50歳、4兄は57歳、そして5番目の兄は1歳にならない内に死んでいる。
さすがに女性は高齢まで生きた。長女は83歳まで生きたし、すぐ上の姉(三女)は74歳まで生きた。
現在89歳になる姉だけがただ1人の同胞として存命中である。
昨年の春に脳梗塞で倒れたが、手術して奇跡的に意識を取り戻し、今はリハビリに専念して、しっかりとしてきたらしい。
私は果たして幾つまで生きていけるか・・・。
年の初めに、心がけることを列挙してみる。
先ず、足腰を鍛えること。歩けなくなったら、年寄りはアウトである。そして、なるべく笑う回数を増やすこと。
次に、くよくよと悩まないこと。生きている限り、迷うことは次々に生じるが、ある程度考えたらキッパリと悩まないようにすることだ。
食べ物は過食を戒めること。食欲があるのは生きている証拠であるが、過食は病害の素である。
呼吸に気をつけること。浅い呼吸をやめて、深く息を吐くように努めること。いつでもどこでも、心することが大事である。

果たして実行出来るかな?
 

次女に次女が。

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 9月25日(水)08時30分20秒
 

先日、世田谷に住む次女が次女を出産しましt。

育児下手、家事下手の私は三人の娘を産みましたが、赤ちゃんは一人一人頑張った生きてきました。

今日から、しばし上京いたします。

東京は久しぶり。果たしてどんな日々を過ごすのか・・・。

ともかく、産後の娘一家に寄り添ってみます。

 

 

ひさびさのカキコミです。

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 9月 2日(月)22時00分35秒
編集済
 

最近の天候の乱れには、どこか、恐怖を感じますね。

猛暑に唸っていましたら、いつの間にか、我が家の庭には鈴虫の音が聞こえるようになりました。

四季の変化にあわせて,生活のありようを変えていくのには、結構、エネルギーが要ります。

そのエネルギーが出る筈も無く、弱音を吐きながら暮らしております。

故郷・八女の季刊誌「黄櫨」に、故郷への思いをこめた文章を綴ってきましたが、それが、15回目になりました。

季刊誌は年3回の発行ですが、今回は、「八女福島の燈籠人形」という題で書きました。

福島の古い町並みの中にある宮野町八幡宮に燈籠人形の舞台が作られて、仲秋の名月の頃の三日間、カラクリ人形芝居が奉納されます。

国の重要無形文化財に指定されている「八女福島の燈蝋人形」のことは、インターネットで検索すれば、歴史など、沢山のことが分かります。

是非、覗いてみて下さい。なお、郷土の季刊誌「黄櫨」についても、ネットで検索したら、概略が分かりますよ。

人生史という雑誌が、発刊されて47号という歴史は、凄いことですね!!!

 

桜散り染めて、鶯の声、ホーホケキョ・・・。

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 3月28日(木)17時05分14秒
 

ついに我が家の桜は、散り始めました。

日、どこからともなく小鳥達が桜の花に集まってきます。

今朝は、鶯の声が聞こえました。

姿は見えませんが、長いこと囀ってくれました。

ホ~ホケキョ 楽しそうに喉をふるわせていました。

桜の花びらが、ハラりハラリと散っていきます。

あまりに短い桜の最盛期。

桜は咲いても、散っても、季節の移ろいを麗しく感じさせます。

今年も道行く人たちが「きれいですね~」と、口々に褒めてくれました。

久しぶりの鶯の囀りにも出会って、今日は明るくて幸せな一日でした。

 

桜・・・。ため息・・・。

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 3月19日(火)11時44分43秒
編集済
 

古色蒼然となったこの掲示板に、我が家の桜のことを書くのは何度目だろうか。

   年々歳々花相似たり

    歳々年々人同じからず


この有名な漢詩の意味するところが、今年ほど身にしみて感じられる時は無い。

我が家の玄関先に植えた染井吉野の桜の幼木は、1メートルにも満たなかったが、

三十八年目の今春は、南面道路に向かって堂々と枝を張り、道行く人々の目を喜ばせている。

三十五歳だった私も、今や七十二歳の老女になった。

桜の寿命と人のそれとは同じくらいだと聞く。

今を盛りと咲く我が家の桜は三十代後半。綺麗盛りの年頃なのだ。

道行く人に、「見事ですね。毎年楽しみにしているんですよ」

と言われると、我が子を褒められたように嬉しい。

しかし、桜は咲いたと思う間もなく、散ってしまう。

風や雨に一喜一憂しながら過ごす桜の季節。美しくて儚い。

古人の歌には、我が心をそのままに詠んだものが多い。


    世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし


   散ればこそいとど桜はめでたけれ浮き世になにか久しかるべき

   花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに

   さくら花かくいつまでも看をりとも飽く世といふはあらぬなるべし

   かひありと思はれぬるは世の中にさくら見くらす日数なりけり


最初の歌は、西行法師が詠んだもの。最後の二首は、橘曙覧の作品です。

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我が家の桜も開花宣言。

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 3月15日(金)13時29分37秒
  今年は福岡市の桜の開花宣言がいち早く報道されました。

中央区の大濠公園の傍にある、城内の桜です。

我が家の玄関に植えている吉野桜も、開花しました。

寒かったり暖かかったりの不順な気候の中で、今年は花芽がパンパンに大きく膨らんでいます。

東北の震災から二年目。

春の日差しを浴びて、優しく咲き出した桜・・・。

ありがたく、うれしい、春の到来です。
 

花宗川で遊んだ頃の思い出

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 3月 2日(土)15時20分55秒
編集済
   季刊誌「黄櫨」 第46号 に掲載する文章


   八女の探訪 つれづれ思い出すままに  ・・・花宗川で遊んだ頃・・・


 平成も二十五年目の春となった。ここ福岡市の天候は、三寒四温の日々である。
 特に今朝は陽光に恵まれ、庭先では「先ず咲く」に由来するという「マンサク」の黄色い花が、一足早く春の到来を告げている。目白や鶯の姿もチラチラと見えてのどかな風景である。しかし、気になるのは霞がかかったような空の色だ。春霞の趣きとは少し違う。大陸から飛来している汚染された大気の影響らしい。

 こんな日には、どこまでも澄んだ青い空の下で、故郷・八女に流れる花宗川で遊んだ子供の頃が思い出される。

 目をつむると、小学生の私が見える。戦後間もなくの、ある夏休みのことである。

 京町の我が家は食堂を営んでいた。公園通りと呼ばれるバス通りに面し、道の向こう側には大きな提灯屋と映画館の京座がある。大映と東宝映画の封切館だ。この頃は新東宝映画も来る。お盆には特別興行として長谷川一夫主演の娯楽時代劇が上映される。特別興行の時は、宣伝が派手になる。映写技師を兼ねた絵の上手なお兄さんが、ポスターの何十倍もの大きさの手描きの看板を作って館の表玄関に掲げるのだ。フランス映画やアメリカ映画の時には若い客が集まる。ディズニー漫画の時は家族連れで賑わう。
 京座のお陰で昼も夜も人通りが絶えない。食堂は我が家の並びにもう一軒ある。お菓子屋、理髪店、古本屋、薬屋、回転焼きの店など、小さな店が軒を並べている。四つ角には町一番の本屋と、白壁造りの商家をそのまま使った大きな野菜屋がある。経営者は京座の館主の親戚筋で、専売のたばこや酒も売っている。いつも客で賑わっている。
 家の前の道路はまだ舗装されていない。我が家に寄り添うように柳の大木が植わっている。夏は道路に木陰が出来るので喜ばれている。昔、福島城というお城が建っていたが、江戸時代になって取り壊された。跡地の整備で出来たのが八女公園で、この公園の周辺一帯は城の内堀だったといわれている。道に植わっている柳の木が大きく育っているのは、地下には水がたっぷりあるからだろうと父は言う。柳の木は水を好むらしい。夏の炎天下、バスが通るたびに柳の枝が揺れ、通りに面した商店の店先には、もうもうと埃が舞う。
 道に水をまくのは子供の仕事だ。どの店にも子供がいる。朝起きたら、井戸から水を汲んでバケツで運び、自分の店の前に水をまく。水まきが終わって昼ご飯を食べた後、町内の同じ年頃の子供達が誘い合って川に泳ぎに行く。
 家の前のバス通りを南の方にまっすぐ五百メートルほど歩くと花宗川がある。みんなでお喋りしながら歩くのが楽しい。途中、矢部線の踏切を渡ったあたりから、急に人家が減って水田地帯になる。ごみごみした町の中で育つ子供には、青空と水田の広がりが目にしみる。梅雨が終わった稲田は光って見える。時折、サーッと田圃の稲を撫でるように風が吹く。その風は肌に心地よいが、道は焼けつくように熱い。足の裏がジカジカしてくる。

 歩きながら、話題がアメリカのことになった。幾つか年上の友達の話では、親戚の人がアメリカから帰ってきたという。我が京町には金持ちの家もある。アメリカと聞いてドキンとした。ジョン・ウエインやボブ・ホープが出るアメリカ映画は見たが、ナマのアメリカ人を町で見たことはまだ無い。実際のアメリカはどんなものか、みんなは興味津々の面持ちで、友達の話を聞く。
「アメリカでは家のことは何でも電気がして、便利げなよ」
 父は電気技師だ。家にはコイルを巻いた電熱器はあるが他には電灯ぐらいしか頭に浮かばない。私は聞いた。
「電気がするって、いったい、どんなことばするとね」
 友達は、自慢そうに言う。
「洗濯をしたり、それから、自分でご飯も炊くげなよ」
 ビックリした。ご飯の炊き方などアメリカ人に分かるだろうか。映画ではアメリカ人はパンと肉を食べている。ご飯を食べているシーンは見た事がない。何だか信じられずに首をひねる私を見て、友達はムキになって言った。
「電気でご飯を炊くという話はほんなこつ(本当のこと)よ。親戚の人は、実際に見たげなよ」
 話についていけないでいると、友達はきっぱりと言った。
「アメリカは進んでいるとよ。ばってん、その内に、日本でも電気がどんどん使われて、家の仕事は楽になるやろうと言っていたよ」
 アメリカ帰りの人の話が本当だったら夢のような話である。子供の私には家の仕事がどんなに大変かまだピンと来ないが、ご飯を炊くことを考えてみた。家には少し前まで竈(かまど)があった。ご飯は大きな釜で炊いた。竈の火が消えないように見張っていなければならない。この頃は殆どの家から竈は消えてしまい、今は七輪が使われている。燃料は練炭や無煙炭だ。火をおこすのに手間が要るが、いったん火が点くとなかなか消えない。ご飯を炊くのも煮炊きをするのも、お湯を沸かすのも七輪だ。電気は、こんなことがもっと簡単に出来るのだろうか。電気で洗濯が出来るという話も、何だか分からないが気になった。家族の多い我が家は洗濯は大仕事だ。普通は井戸水を汲んでたらいで洗うが、夏はみんなの衣類を入れた大きなざるを抱えて筑後福島駅前の小川に行く。流れる水を使ってどんどん洗濯が出来るし、すすぎにも時間がかからない。こんな風に、夏は川で簡単に洗えるが、この小川は水田のための用水路なので冬は水が涸れる。冬の我が家の洗濯は大変だ。電気が人間の代わりをするなら助かるに違いない。私は言った。
「本当だったら、夢のような話やねえ」
 みんなは「アメリカは進んでいる」という言葉には納得したようだった。こうして、アメリカの話は終わった

 ようやく、目的の花宗川に着く。
 八女の地を流れている一番大きい川は矢部川で、今私達が歩いてきた道のずっと先にある。子供の足では花宗川までがやっとだ。川幅は十メートルほどで流れも穏やかなこの川には、子供達があちこちの町から集まって来る。
 川には木の橋が架かっている。橋のこちら側は福島町で向こう側は隣りの三河村だ。水田ばかりの村である。
川上と川下にそれぞれ堰がある。その堰の付近は砂と小石ばかりの浅瀬で水の量も少ない。小さな子供にも安全
な場所なので、親子で一緒に水遊びを楽しむことが出来る。
 二つの堰に挟まれているところの水量は豊富で、思いっきり水泳が出来る。川は緩やかにカーブしていて、流れの遅い所、速い所、水深の浅い所、深い所が入りまじっている。上級生は流れが速くて深い所を好んで泳ぎ、低学年の私達は溺れないように、川底に足が届く場所を選んで泳ぐ。川に立つと、小石を含んだ砂がさらさらと足の裏に触れて心地良い。綺麗な小石を投げ入れて、水底に潜って探すゲームをする。この遊びは面白いが、今流行っているのは、木の橋から川に飛び込む遊びだ。川の土手の中ほどに石垣の部分がある。その石垣をよじ登って道に上がり、そのまま橋まで駆けていき、橋の上から流れる川に飛び込むのだ。
 上級生の男の子は映画の中のターザンのように頭から飛び込んでクロールで泳ぐ。飛び込みの上手な上級生は注目を浴びるので、何度も何度も飛び込んでみせる。まだ犬掻きと背泳ぎしか出来ない私はドボンと足から飛び降りる。橋の上から川を見下ろすと、クラクラッとめまいがする。飛び込む瞬間はこわいが、あっという間に水の中だ。水面に頭が浮き上がったらすぐ仰向けになり、そのまま川の流れに身をゆだねる。頭を上にしてゆっくりと流されていくと、真夏の太陽の光がキラキラと眩い。白い雲が私についてくる。

 今日もたっぷりと遊んだ。
 日はまだ高いが、私達は川にさよならをして町に帰る。道の地面は温度が少し下がっているのか、歩き易くなっている。誰もが満足しきった笑顔を浮かべ、又遊ぼうね、と声を掛け合って、別れる。

 思い出から醒めて、はっと我に返る。現実の私は七十二歳の高齢者だ。最近では足腰が弱り、僅か数段の階段の登り降りさえも苦痛に感じる。活発だった女の子はいったい何処に行ったのだろうか。
 今は、実家のあった京町の通りは人通りも疎らだ。映画館も商店も消えてしまい。賑やかだった町の面影は無い。私の思い出の中では、寂れてしまった町が生き生きと甦り、元気いっぱいの女の子が生きている。昔のことは鮮明に思い出すのに、ちょっと前のことはすぐ忘れる。このちぐはぐな脳の働きは、老化現象そのものかもしれない。

 花宗川を巡る話は、まだ語り尽くせない。

 小学校の高学年になると、私は花宗川に行かなくなった。胸が膨らみ始めて川で泳ぐのが恥ずかしくなったこともあるが、川の水が汚くなって泳げなくなったからだ。家庭からの生活排水と製紙工場などから排出される工場廃水で、澄み切っていた川の水が真っ黒になった。花宗川の川沿いにあった「県立福島工業試験場」は、地元特産の手漉き和紙に加えて機械漉き和紙の開発・研究をしていたが、ここからも大量の廃棄物が流されて、水は濁った。

 大人になって知ったことだが、この花宗川は、八女の先人達が、水田を潤すために灌漑事業を施して造った人工の川だという。福島町にはもう一本、矢部川の流れを引き入れた川がある。「山の井川」と呼ばれている。この二つの川の周りには小川が張り巡らされている。これらの川は、田畑の水源確保のための、命の泉だったのである。子供の頃の私は、矢部川の水を引き込んだ花宗川を、自然に流れている昔からの川だと思いこんでいた。土手には草が生い茂り、周囲の景観に溶け込んでいる川の姿は、自然そのものに見えた。
 泳ぐにはたっぷりの水量があり、幼児も遊べる浅瀬もあった花宗川は、今にして思えば、人工にして天然のプールであり、子供達にとってのオアシスだった・・・。

 昭和二十五年十一月十一日付けの茂吉選の「朝日歌壇」には、父・坂田力の作品が選ばれて載っている。

      工業試験場の汚水注ぎて黒くなりし
      ここの小川にあめんぼ多し

 昭和二十五年といえば私が十歳の時だ。前述したように、当時の私は花宗川から遠ざかっていたが、父は故郷
川の変貌を凝視して歌に詠んだ。あんなに美しかった花宗川の水が試験場の廃水で黒く濁ってしまったことを嘆いている。ところが、その濁った川の水面をスイスイと泳ぐあめんぼを発見した。汚れた川の中で生命が生き続けている・・・。嘆きと驚きと喜びの感動が詠みこまれたこの歌は、選者・斉藤茂吉の心に届いたのだ。

 花宗川を流れる水は、現在、澄み切っている。川底を覗くと藻が揺れている。行政と関連業者と住民の努力が積み重なって、綺麗な川へと生き返ったのである。
 だが、少子化が進み、整備された人工のプールで保護されて泳ぐ子供達すら減っている時代だ。昔のように、大勢の子供の声で賑わう花宗川は、もう戻ってこないだろう。

 それにしても、電気でご飯を炊くという話を聞いたのが六十年以上も昔だったことに驚く。石油コンロやプロパンガスも見当たらなかった頃のことで、田舎に住む子供の頭では想像することも出来ない話だった。しかし、家庭の電化時代はあっと言う間にやってきた。そして、福岡の我が家も、今や、「オール電化」の暮らしだ。家電品に囲まれて確かに便利になったが、一方で、エネルギー問題と環境問題への対応が社会の大きな課題になっている。
 全く忘れていた話を何故あんなにリアルに思い出したのだろうか。安易な暮らしを選び続けてきた我が身に対する、過去からのメッセージなのかもしれない。

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季刊誌「櫨」46号に寄稿した「花宗川の思い出」

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 2月28日(木)08時45分53秒
編集済
  人には故郷の数だけ山があり、故郷の数だけ川がある。

こんな言葉が通用するのは、縦長で中央に山脈が走っている日本列島に住んでいるからだろうか。

私は現在、故郷・八女で年に3回発刊されている季刊誌「黄櫨」に、勝手気ままな文章を投稿している。

とりとめもない思い出話の連載文であるが、この三月に発刊される46号で、十四回目になった。

今回は、子供の頃に遊んだ「花宗川で遊んだ頃」と題する文章である。

故郷・八女には、矢部川という大きな川が流れている。

矢部川は、一級河川の「筑後川」とほぼ平行して流れている川で、源流は奥八女の深い森に発し、深山からの贈り物だ。

水量が多くて、コントロールが効かないと、「暴れ川」となり、八女地域には深刻な水害を引き起こす。

その分、田畑を潤しているから、八女地域は豊かな田園地帯となっている。

その矢部川を引き入れて造られた川の一つが「花宗川」だ。

この掲示板、長い間書き込みをさぼってきたので、今度書いた文章を紹介したいと思う。

次回から書き入れますので、どうぞ、ヨロシク。
 

おはよう健康体操について

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 2月 7日(木)08時49分1秒
  早朝5時から6時まで、BS・TBSの番組で、「おはよう健康体操」というのがあっています。。

偶然目にしたこの番組、もう、1年以上も視聴しています。

最初の頃は、毎朝午前4時くらいから目が醒めていたので、殆ど毎朝これをみて体操をしました。

興味のあるかたは、ネットで調べたら紹介の記事や画面が出てきますよ。

中国出身の少林寺拳法の自然派の極意を修めた「謝」という人が指導者です。

50代前半というこの人は、30代に入ったばかりの頃の、健康な青年の姿をされており、修行で鍛えられた体は美しいです。

彼が独自に編み出した12のポーズはとてもユニークで、老若男女が誰でも実践できるような「型」で成り立っています。

肩こりに悩まされていた私は、生来凝り性でもあるので、この体操に嵌まり、ほぼ毎日のように録画して、ポーズの把握につとめました。

そして、日記形式のカレンダーに、その日の説明とか、毎日筆で書かれる「今日の一言」を転写したりしました。

気功法、太極拳、少林寺拳法、空手などにもある「型」が取り入れられています。

ヨーガで習っている呼吸法にも繋がっていて、とても面白いのです。

是非、一度でも良いから、この番組を覗いてみては? お勧めいたします。

今朝は朝日を拝んで気持良く、つい、つぶやいてしまいました。
 

謹賀新年

 投稿者:にしき  投稿日:2013年 1月14日(月)13時03分4秒
  2013年の幕開けです。

この正月は、年末からの風邪を持て余しながら過ごしました。

朝顔の蕾は開ききらない内に枯れてしまいましたが、そのすぐ上ではマンサクの蕾が今か今かと開花を待ち受けています。

年々歳々花は移ろいながら咲いていくのに、我が身はひたすら老いのベクトルの方に進んでいくのを実感しています。

とはいえ、精神はそれなりに活力を失ってはいないようなので、今年も、皆様、どうぞよろしくお願いします。

さて、老いたりとはいえ、新鮮な気持ちで今年の目標を立てました。

    ① 毎週火曜日の10時から2時間の「ヨーガ教室」には欠席せずに通うこと。

    ② 同じく、火曜日の4時半からの「ピアノ教室」にも漏れなく出席して30分は真剣に習い、今年中に念願の「○○曲」をマスターすること。

      そして、家人の前で、楽しく弾いて聞かせるようになれること。

    ③ 持病の糖尿病の血糖コントロールに気をつけ、合併症とは無縁の生活を維持すること。

       そのために、野菜から始めて、糖質をなるべく取らず、腹八分目の食事を心懸けること。

    ④ 早寝早起きを目指し、常に柔軟に体が動かせるように、「おはよう健康体操」のポーズを実践すること。歯の管理にも気をつけること。

    ⑤ 豊かな精神生活を送るために、質の良い文芸作品に触れたり、物事を細やかに観察することなどに意を注ぐこと。

       郷土誌「黄櫨」への投稿は手を抜かずに行い、確かな文章表現力を養うよう努力すること。

そして、何よりも、家族みんなの健康を大切に願って暮らしていきたい・・・・・。 これらが、新年にあたっての私の決意です。
 

冬の朝顔

 投稿者:にしき  投稿日:2012年12月17日(月)13時45分27秒
  今朝、我が家の南面のブロック塀に這っている朝顔の蔓の先に、つぼみが膨らんでいるのを見つけた。

西洋朝顔の白である。

三十七年前、この家に越して来る前に住んでいたアパートで育てていたのは青色の西洋朝顔だった。

一階のベランダの柵に巻き付けて育て、目の醒めるような青色の朝顔が晩秋まで咲いた。

品種はヘブンリーブルーである。小さな建て売りの今の我が家で何度も植えたが何故か咲かない。

今年は近所の方に買ってきた種を差し上げてみた。その家では見事に咲いて、大変喜ばれた。

薩摩芋の葉に似た葉っぱをつけて今年も蔓だけは盛んに伸びたのに、我が家では咲かなかったのだ。

混合品種の西洋朝顔の種の内、白色の朝顔だけが一輪、この寒い朝に咲こうとしているのだ。

赤と白、青色の西洋朝顔があるが、大好きな青色のヘブンリーブルーは今年も咲いてくれない。

来年は、必ず咲かせてみたい・・・と、2012年の年の瀬に、願いを込めている。
 

橘 曙覧(たちばな あけみ)の短歌「独楽吟」について。

 投稿者:にしき  投稿日:2012年11月21日(水)14時29分13秒
  先日、車の運転中にNHKのラジオ放送を聞いていたら、作家の高橋源一郎が、橘曙覧(たちばなあけみ)

の短歌について語っていた。以前にこの掲示板で紹介したことのある、「独楽吟」についてのコメントだった。

橘曙覧は、幕末に生きた歌人である。「たのしみは・・・」で始まる短歌を52首残していて、これが、「独楽吟」としてまとめられている。

作家の高橋源一郎は、熱をこめて、橘曙覧(たちばなあけみ)の歌を紹介した。

この時、私は近くの本屋さんでふと買い求めた、『橘曙覧「たのしみ」の思想』という本を読んだ時の感動が甦ってきた。

著者は神一行(じんいっこう)という人で、主婦と生活社から発行されているこの本は、今はもう絶版になっている。

神一行氏は1943年生まれのジャーナリストであるが、橘曙覧の歌を平成6年にアメリカのクリントン大統領が引用したのを知って、衝撃を受けた。

     たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

この歌を、クリントンは訪米された天皇を迎えてのレセプションで紹介したのだった。

清貧の暮らしを楽しんで生き抜いた橘曙覧は、「たのしみは・・・」で始まる短歌52首を「独楽吟」として残しているが、高橋源一郎はこの中から自分の好きな歌を選んで解説した。

私はそれが嬉しくて、車を路上に止めて、暫く聞き惚れた。

その感動が覚めないうちに、、ここに改めて、「独楽吟」の中から、私の好きな歌を五首あげてみよう。

    たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時

    たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食う時

    たのしみはそぞろ読みゆく書(ふみ)の中に我とひとしき人を見し時

    たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふとき

    たのしみは庭に植えたる春秋の花のさかりにあへる時々

これらの歌はほんの一例であり、どの歌も清々しくて、気品がある。

明治になって、正岡子規が絶賛しているが、良寛さんと共通する美しい生き方が伝わってくる。

私は、ラジオで高橋源一郎の声を聴いて感激し、彼の本も是非読みたいと思った。
 

兄嫁の死

 投稿者:にしき  投稿日:2012年11月15日(木)08時21分16秒
編集済
  私には五人の兄がいた。

二年半前に、最後の兄(三男)が亡くなった。満75歳になったばかりだった。

前日までピンピンしていたのが、意識不明になって救急病院に運ばれ、数時間後にそのまま息を引き取った。

病名は「脳幹出血」。今高齢者が望む「ピンピンコロリ」という死に方を、私は目の前にしたのだ。

以来、この世に兄と呼べる人は一人も居なくなった。

長兄は33歳、次兄50歳、四男57歳、そして五男は私が生まれる前に2歳で亡くなっている。

このように、我が家の男達はみんな短命だったから、三男の兄が一番長生きしたことになる。

その兄の三回忌をこの夏終えて間もなく、彼の配偶者つまり兄嫁がさる10月19日に亡くなった。

彼女は69歳でガンが発見され、70歳の誕生日の翌日に他界。

闘病生活は1年に及んだが、最後は本人の希望するホスピスに入院して、自分の死を迎え入れている。

子だくさんの家の末娘として生まれた私は、祖母は全く知らないが、親きょうだいの死を見てきた。

兄嫁という「義理の姉」の死に遭遇したのは初めてである。

72歳になっている私は、これからも、身近に縁のある人たちとの別れを体験することだろう。

冥福を祈るしかない日々を過ごしている。

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七十の手習い

 投稿者:にしき  投稿日:2012年 7月 7日(土)15時35分52秒
  学生時代からの知り合いが福岡市の中心市街地で弁護士事務所を開いている。

先日、ちょっとした用事があって彼の事務所を訪ねた。

最近は殆ど付き合い無かったけれど、学生時代から色々と関わりのある人物である。

若いときには聞けなかったことなど、今は屈託無く話ができる。

司法試験に合格するまでは相当に苦労した彼も、今では息子さん二人もその事務所の弁護士として名を連ねていた。

「子育ての成功例ですね。何かコツがありますか?」と聞くと、「自分は全く放任していた」という応えが返ってきた。

雑談を愉しんでいたら、突然、彼が発した言葉に驚く・・・。

「僕は今、書道を習っているんですよ。まだ始めたばかりだけど、筆で字を書くのは楽しいですね」

彼が言うには、大学生の時、私が大きな筆でのびのびと字を書いていたのをみて、感心したらしい。

そういえば自治会活動をしていた時、スローガンとかアジビラを大きく墨で書く役目を受け持った記憶がある。

偶然ではあるが、最近の私は妙に気分が盛り上がって、硯箱を出して書道の真似事を始めたところだった。

弁護士になってからも、彼は字を書くのが苦痛で、緊張すると手が震えたらしいが、書を習い始めて良くなったという。

六十の手習いということわざがあるが、正に、「七十の手習い」で胸を弾ませている彼は、生き生きと見えた。

家に帰って、私は、かつて揃えていた書の本をひっぱりだして、臨書の真似事に更に精を出すことにした。

墨をすり、名筆と言われた人達の美しい字を眺めるだけでも、心が潤ってくる。

歳をとることは有り難きかな・・・と、思うこの頃である。
 

近況報告

 投稿者:にしき  投稿日:2012年 6月16日(土)07時05分28秒
編集済
  当掲示板、長いことお休みしていましたが、やっと気を取り直して再スタートです。

季節は移ろって、今は梅雨真っ直中。鬱陶しい日々が続いています。

毎年この頃から悩まされるのが庭に発生する蚊や虫・・。木々の葉っぱが虫に食われ、蚊が人間の血を吸うのです。

原因はハッキリしています。庭の面積が狭いのに植物が過密に植わっているからです。

とは言え、今更せっかく育った木を刈り取ることも出来ません。害虫駆除も限度を超えると木を傷めます。

吸血蚊対策としては玄関に蚊取り線香を焚いていますが、それでも蚊達は猛然と襲ってきます。

そんな季節ですが、今年は、少し気分を変える計画を立てました。只今それを実行中です。

南の道路に面した塀をグリーンで覆うことにしたのです。

昨年の冬まで咲いてくれた西洋朝顔(ヘブンリーブルー)がプランターの中で宿根しているのを活かして、

伸びていく蔓を誘因しながら、白い塀の壁一面に朝顔を咲かせる計画なんです。

果たして成功するでしょうか。
 

夢の続き・・・。

 投稿者:にしき  投稿日:2012年 4月13日(金)08時12分59秒
編集済
  玄関脇に植えた桜が、今年も見事に咲いてくれました。

冬がことのほか寒かったせいでしょうか、蕾が膨らむまでは時間がかかりましたが、

咲き始めたら、あっという間に満開・・・。そして、早々と花を散らせました。


春の風に吹かれて花びらを散らせていくさまも、とても美しかったです。

今はすっかり葉桜です。

以前この掲示板に、花は精一杯咲くのは隔年で、翌年は一休みするようだと書いたことがありますが、

昨年晴れやか庭を飾ったドウダンツツジの花はチラホラと疎らで、もう緑の新芽に覆われています。

でも、桜は毎年見事に咲くのですねえ。やはり、春の花の女王なんでしょう。


さて、今朝は夢を見ました。竹下さんの夢なんです。

私と彼女が、お互いに手を取り合って涙を流しながら語っていた夢でした。

あまりにリアルだったので、起きて暫くは、ぼーっとしていました。

それからすぐに、彼女が亡くなられた正確な日付を調べました。

平成9年4月22日の早朝に、福岡市南区の「那珂川病院」で息を引き取られたのでした。

この病院を最後の場所に決めたのだと私に教えてくれた日のことが、昨日のようです。

私が大橋に住む彼女に電話したら、今日は病院に行く日だと言われて、

私は彼女を自分の車に乗せて、病院まで送って行ったのでした。

駐車場で色んなことを聞きました。

自分の死を迎える最後の場所として、ホスピスの病棟への入院を決意された彼女。

駐車場に止めた車の助手席から、「あの四階の病室よ」と指を指して教えてくれたのです。


それから程なくして、ハガキが来ました。綺麗な字で書かれていました。

四人の息子さんを集めたこと、もう体力が無いこと、私にお世話になってのお礼の挨拶。

4月9日、私は彼女との交流もあった38年卒の同窓の人と一緒に、見舞に行きました。

四階の病室の中は色とりどりの花でいっぱいでした。

痛み止めが効いていたのでしょう。彼女は微笑みを浮かべたような顔で眠っていました。

まるで少女のように見えました。生きておられる彼女を見たのはこの日が最後でした。

私は、夢から醒めて、あらためて、彼女が春の盛りに亡くなったことを噛みしめました。

もう、あれから3年の年月が経過し、六本松にあった我が教養部は完全に無くなりました。

昭和34年4月9日の入学式の日、門の傍にあった桜が満開だったことを思い出します。

合掌。
 

鶯が鳴いています。

 投稿者:にしき  投稿日:2012年 3月21日(水)12時12分56秒
編集済
  長い間掲示板を留守にしていました。

竹下さんのことなど、思い出せば悲しいばかり・・・。

70歳を過ぎたら、死も身近になりました。

今年は春が来たとは言え寒い日々が続きます。

そんな朝、我が家の庭に鶯が来て美しい声を聞かせてくれます。

早朝6時半ちょっと前に、ホーホケキョと囀るのです。

今年は諦めていたので、とても嬉しい!

紅白の梅はもう散り始めましたが、幾つかの椿の木に花が咲き誇っていて、

鶯はその蜜をたっぷりと吸っているようです。

ホーホケキョの鳴き声は、その嬉しさを精一杯に謳歌しているのでしょうね。

老いた私は、命あることの有り難さを、鶯の鳴く声に教えられています。

玄関先に植えている桜(染井吉野)の枝先には蕾がパンパンに膨らんでいて、

本格的な春の到来を、今か今かと待ち望んでいるようです。

とにかく、春は愉しいですね。

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