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おとさんの書き込みにとても「ほっ」としました。私もおんなじなんです。いや、私の方がもっと「ねたみ」だらけかもしれません。私の中にも素直に幸せを分かちあえる自分と、羨ましく、ひがんでしまう醜い私がいて、ベースは単純で素直であろう(おそらく)私の長所がかき消されてしまいます。ほんとに自分が醜くて嫌悪感を抱き続けています。そっか、それも紛れもない「自分自身」なんですよね。そんな感情もちゃんと向き合って受け入れていけばいいんですよね。ねたんでしまうのも自分だし、そんな感情を嫌だと感じているのも自分なんだし、どっも肯定していいんだ。おとさんの書き込みを読んでなんだかほっとしました。おとさん、素直に書いてくれてありがとう。救われました。そして、私の中にはもう一人「人を信用できない自分」がいます。以前、しょうたんママさんが「どうしたら人を信用できるのか?」という疑問を書かれていましたが、同じ疑問をずっと抱いています。私は心の底から本気で人を信じる=頼ることができません。というか、口ではそんなことを言っても、気持ちごと100%その気になったことが無いような気がします。それは夫婦間であれ、血のつながった兄弟間であれ、義理の親であればなおのこと。「所詮最後は一人。自分の力でやっていくんだ。」という独りよがりで冷めた考えが根底にあるのです。たぶん子供時代から心の底に持っていたはず。だって私には長く続く本当の友達がいない。はっきりとこんな自分に気がつき始めたのはここ3年ほど。ターニングポイントは「同居」であるが、それは切っ掛けにすぎず、私の人格をけいせいしているのものの中心に「自分しか信用できない」というものがあるように感じます。それって、すごく寂しい・・・と、もう一人の自分が常に私に言ってきます。そんな感情捨ててしまえばなんて楽な人生なんだろうと。でも、そうしたときに「そうじゃなかった」となったときのショックが怖くて、常に警戒心たっぶりなのです。「そうじゃなかった」ときの経験が多いのかな?「でしょ?だから期待なんかしちゃだめなんだって。」と思った経験が多いのは確か。でも、そうじゃないこともたくさんあるのに、そっちの方はなかなか生きてこないのです。どうしてなんだろう?どうして私はこんなに冷めた孤立した人間なんだろう。きっとこの第3の自分を何とか出来ると、義母との関係も克服できるんじゃないか、と思うのですが。どうしていったらいいんでしょう?
あ、つわりがまだまだひどいのです(涙)食道が焼けただれたようになんだか熱くて。胸焼けするのにお腹は空くし、でも食べると吐くし。最悪です。すっきりする食べ物って、何かありますかね?って、最後は単なる愚痴でした(笑)
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