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留守番談義 その5 「記念館の種を播く」

 投稿者:古狸奈  投稿日:2009年10月12日(月)09時36分29秒
  私がいきなり「橋蔵記念館」などと言い出したものですから、皆さん、びっくりされたことと思います。
確かに京都・嵐山の「美空ひばり館」や、小樽の「裕次郎館」を連想したら、建物の建設費だけでも膨大なものとなり、とてもファンの力などでは無理、ということになってしまいます。
作家や画家など、どれも展示室が立派ですものね。

でも、仮にどこか場所があって、橋蔵さんのビデオや雑誌、写真などが集められていて、週末とか月1回、一般に公開したり、ファンが集うサロンのような空間、程度だったら何とかなりそうに思えませんか。

最初から立派な建物を建てたりせずに、個人の1室、オフィスビルの空室、空テナント、商店街の廃業した店舗、寺、結婚式場の1画などなど・・・要するに雨露がしのげる場所ならどこでもOK。
どなたかに適当な場所を提供していただき、(賃料などの問題はあとで考えましょう)とりあえず場所が確保されたら、皆で資料を持ち寄り、展示する。

最初のうちは展示物もあまりないでしょうから、狭くても大丈夫。
やがて寄贈品など、展示物が多くなったら、そのときに広い所に引越しするなど、次の段階を考える。

記念館は交替で持ち寄ったビデオを鑑賞したり、情報を交換したりサロンとしての要素を大切にする。

といった感じで、少しずつ充実させていって、やがて立派な記念館になれば、と思うのですが。

あれだけのスターだった橋蔵さんに記念館がないのはさびしすぎます。
橋蔵さんの生誕80年に種を播き、100年祭で完成するといったじっくりペースはいかがですか。
私などは完成をみることはできるかどうか、わかりませんが、そのときは虹の向こうで、橋蔵さんと「あ、皆さん、やってる、やってる」って、眺めさせていただこうと思います。

種を播かなければ決して芽は出ません。
橋蔵さんの生誕80年、没25年の今年、皆で記念館の種を播きませんか。

いまはトーク会で皆様、お忙しいことと思います。
落ち着かれたら「橋蔵記念館」のこと、考えてみてください。
皆様のご意見、お待ちしています。
 

留守番談義 その4 「大川橋蔵記念館」

 投稿者:古狸奈  投稿日:2009年10月10日(土)09時16分19秒
  私がメキシコにはじめて来た72年2月はまだJALが就航していませんでした。
その2ヵ月後、JALのメキシコ路線が開業。日本の翼が飛んできた、と老一世たちは涙を流したと伝えられています。
そのJALも経営不振から09年度いっぱいで、赤字路線のメキシコ便は廃止になる模様で、時代の移り変わりを感じます。

当時、機内に持ち込める荷物は20キロのスーツケース2個まで。
それで戦後の移住者は戦前と区別して、俗に「20キロ組」なんて呼ばれたりします。

たった20キロですから、何も持って来れませんよね。
新しい生活を始めるにも、箸1膳、電球1個から揃えなければならず、まさしくゼロからの出発だったわけです。

そんな時代を経験していますから、夫は何も捨てられないんです。
日本からの到来物で、ニッカウヰスキーのビンが空いて、捨てようとすると、「捨てるな。それには青春の思い出が詰まっている」
日系人の結婚式によばれると、テーブルの前に置かれたその日の献立表まで持って帰ってくる。招待状と一緒に紙袋へ。
「こんなんだって、50年経てば立派な移住資料だ」。いやはや。

ということは、50年前に制作された橋蔵さんの「新吾十番勝負」はれっきとした映像資料でもあるわけですね。
橋蔵映画として少しも古びてはいないけれど、後世に伝える資料としての価値もある。・・・
橋蔵さんのすばらしさを多くの人たちに知ってもらうためには・・・

そんなことを考えていたら、「大川橋蔵記念館」、あったらいいな、なんて思ってしまいました。
橋蔵さんの映画や映画雑誌、後援会誌、写真などが一堂に集められていて、行けばいつでも橋蔵さんのビデオが楽しめる・・・なんて。素敵だと思いません?
「大川橋蔵の小部屋」サイトは小部屋さんのご努力で、充実したものになっていますが、雑誌など、実際に手にとって見たいですよね。

「大川橋蔵記念館」、何とかならないものでしょうか。
ひばりさんや裕次郎さんの記念館、どんなふうにしてできあがったのでしょうか。
「橋蔵記念館」のことで、頭がいっぱいになりそうです。
 

留守番談義 その3 「映画の時代背景は」

 投稿者:古狸奈  投稿日:2009年10月 8日(木)15時15分4秒
  台風18号が日本を直撃、皆様の所は大丈夫でしたか。お見舞い申し上げます。

この雑文、皆様との話題提供ということで、勝手なことを書かせていただいています。
京さまに読んでいただけて嬉しいです。こちらこそよろしくお願いいたします。

昔、映画館に行くと、上映される映画の写真と、配役、あらすじが書いてあるチラシが渡されたのを覚えていらっしゃいますか。
あらすじは全部は書いてなくて、最初の部分だけ。大抵は「5代将軍綱吉の頃、・・・」なんて書き出しで、続きが気になるところで終わっています。

さて、橋蔵さんの映画の時代背景はいつの時代が多いのでしょうか。
ほとんどが江戸時代ですね。

とりあえす江戸時代以前の古い時代の作品をあげてみると、「紅顔の密使」、「恋や恋なすな恋」(平安時代)、「笛吹き若武者」、「富士に立つ若武者」(平安時代末期)、「曽我兄弟 富士の夜襲」(鎌倉時代)、「海賊八幡船」(戦国時代)、シェークスピアのハムレットを題材にしたといわれる「炎の城」は時代不詳なのですが、おそらく戦国時代あたり。
こうしてみて見ると、ほとんどが江戸時代だとわかります。

では、この江戸時代、徳川幕府を開いた家康から、15代将軍慶喜まで、約300年。
橋蔵さんの映画はどれがどのあたりに入るのでしょうか。

徳川幕府を開いた家康と2代将軍秀忠の時代は、まだ戦国時代の名残があって、宮本武蔵や佐々木小次郎、柳生十兵衛などの剣豪が活躍した時代なのですが、橋蔵さんの出演作品は思いつかないのですが。

3代将軍家光。このときに鎖国、キリシタン禁令。主な人物に春日局。ということで「天草四郎時貞」

4代将軍家綱。由比正雪の慶安事件。

5代将軍綱吉。元禄文化の花開いたときで吉原などの絢爛豪華な物語が展開。主な歴史上の人物に柳澤吉保。この時代の映画は、「忠臣蔵」、「赤穂浪士」、「血槍無双」、「水戸黄門」、「くれない権八」、「花笠若衆」、「恋山彦」など。

6代、7代は在位が短くて、しかも徳川本流が絶えてしまいます。
そこで登場するのが8代将軍吉宗。
この吉宗公は本来は将軍継承順位は低くて、福井の鯖江藩主だったのが、紀州本家の殿様になり、やがて将軍にまでなってしまう人。そういう経歴だからこそ、「新吾シリーズ」が物語として成立できるんですね。
享保の改革をし、町奉行に大岡越前守を登用。この大岡越前守が町火消しを組織するわけで、橋蔵さんのいなせな火消し姿の映画は8代将軍以降となります。

9代将軍家重、10代将軍家治の時代、飛ぶ鳥を落とす勢いとなった田沼意次は汚職政治の代名詞とされ、11代将軍家斉の時代と共に、悪徳商人が役人とくっついて悪行の限りをする、といった筋立てが多く見られます。「雪之丞変化」や「大江戸の侠児」など。股旅ものも江戸時代後半が多いようです。

一挙に幕末に行ってしまいましょう。
幕末は、勤皇の志士、新撰組、清水次郎長一家、題材は盛り沢山ですね。
「壮烈新撰組」、「清水港に来た男」、「月形半平太」、「任侠清水港」、「幕末残酷物語」など。

資料も見ず、裏づけも取らずで、気ままに書き連ねたので、間違っていたら教えてください。
それと肝心な「若さま」はいったいどの時代のお人なのでしょう。どなたかご存知ではありませんか。
 

Re.留守番談義

 投稿者:  投稿日:2009年10月 8日(木)10時39分50秒
  古狸奈さま

 はじめまして 京と申します。「新吾の部屋」はいつも訪問させていただいているのですが、文章が苦手なもので、読むだけ〜になってしまっています。すみません。 よろしくお願いします。

 私も、結構ストーリーの続き勝手に作ったりして、楽しむのは好きな方です。 新吾さまが、武士に嫌気がさして、剣を捨て、市井にでて、「銭形平次」になったなんて どうだろう?なんて アホなことを想像して楽しんだこともありました。 馬鹿みたいですね。ごめんなさい。ただ、いつも剣によって 自分を追い詰める新吾さまが可哀そうで、穏やかで平凡な幸せをあげたいって思ってしました。

 メキシコ使節団の映画のお話、実現したら面白かったでしょうね。とても興味深いです。日本の使節団や 日本人を初めて見る外国の方の 双方のカルチャーショック。そして それを越えた愛。橋蔵さんが演じられるのを 私も見たかった。最高だったでしょうね。
 

留守番談義 その2 「支倉常長」

 投稿者:古狸奈  投稿日:2009年10月 7日(水)05時17分12秒
  へんげ様

原作では新吾さまはお縫と結ばれるのですか。知りませんでした。
原作を読んでいないもので。(汗)
いつもいろいろと教えてくださって、ありがとうございます。
とっても嬉しいです。またよろしくお願いします。

原作は完結しているようですが、私たちは空想の世界に大いにはばたいてみませんか。
皆さんがお作りになったストーリーをどうぞ聞かせてください。


さて、今日は支倉常長についておしゃべりさせていただきましょう。
伊達政宗がローマ法王に送った慶長使節、支倉常長の一行は仙台から太平洋を航海し、メキシコのアカプルコに上陸、陸路メキシコシティを経て、大西洋側のベラクルスに抜け、ローマへと向かっています。メキシコを通っているんですね。

メキシコシティの中心部に支倉常長が泊まったといわれる通称「タイルの家」と呼ばれる建物があって、今はレストランを併設したサンボルンというデパートになっています。
その前には一行の中の何人かが洗礼を受けたと言われる教会が建っています。
また、アカプルコの海岸の公園の一隅に、以前は太平洋を日本を臨むように支倉常長の像が立っていたのですが、いまはどこかに移動してしまっているようです。確認できていませんが。

メキシコシティーアカプルコ間は大体東京ー大阪間に同じ。
今でこそ飛行機で45分、車で4時間の距離ですが、当時は海抜0mのアカプルコから、3000mの峠を越え、2250mのメキシコシティに辿り着くのは並大抵の苦労ではなかったでしょう。

大分前になりますが、この慶長使節の一行が長い旅の途中、メキシコで現地の女性と恋に落ちたりして、使節団から脱落した武士などをテーマにした映画を制作したいといって、吉田喜重監督がメキシコに来られたことがありました。
下見をし、大分案を練っておられたようだったのですが、何しろ海外ロケは膨大な費用がかかるものですから、結局は実現できませんでした。
この企画を聞いたとき、橋蔵さんに演ってほしいな、と思ったりしたものでしたが。
 

原作

 投稿者:へんげ  投稿日:2009年10月 6日(火)16時47分50秒
  原作の番外勝負では、最後にお縫が秩父の実家で新吾様の第1子をお産して、新吾様は秩父へ帰る(お縫のお産は知らない)ところで終わってますね。男か女かは書かれてない。途中経過の物語は忘れちゃったので読み返さなくてはわからないです。映画の方が悲恋が多くて、もともと原作はすっごくドライなキャラクターとは言われてましたが、小説ではどんな御対面となるのかという事に、読者の気を持たせて完、でした。こういう結末ではほんとに「完」ですよね。私も子供のファン同士で「オヌイとケッコンするのがいい」とか「ユキヒメがいい」とか話したことがありました(ソー熟?)
今年は新吾十番勝負から半世紀。映画は今でも新鮮です。言われてみれば確かに完了してないですよね。
 

留守番談義 その1 「新吾の恋」

 投稿者:古狸奈  投稿日:2009年10月 5日(月)14時03分43秒
  この部屋の主人公、葵新吾さまは多くの女性に思いを寄せられながら、結局、誰とも添い遂げられないんですね。
剣に生きると言って、無理やり相手の思いを退けたり、好きな女性の父親を斬ってしまったり、番外勝負ではこれぞと思った相手が斬られてしまって、結局は結ばれず、険しい稜線を下山する新吾の遠景を映して、映画は終わっています。

ということは、新吾シリーズはまだ終わっていないんですね。
恋も成就していなければ、父親の吉宗にも会っていない。
「番外勝負」も余韻のある終わり方で、まだまだ物語は続いたかもしれません。

皆さんだったら、どのようなストーリーを展開させますか?
時代劇といえども、史実を曲げることはできませんから、吉宗のあとの9代将軍となる家重の一派が邪魔者の新吾暗殺のための刺客(今度は集団で、忍者軍団にしましょうか)を放つ。
父親の吉宗とはお忍びでもどこかで会ってもらわないと。
問題の恋人はどんな設定にしたらいいでしょうか。
皆さんも考えてみてください。

憧れの的である新吾さまは特定の女性と結ばれてはいけない宿命にあるんです。誰か特定の人が現れたらそこで物語はおしまい。考えてみると可哀想な新吾さまですね。

当時のスターたちは結婚すると人気が落ちる、といって、恋愛はご法度。
会社が許可しない限り、結婚もままならなかったんです。
おまけに五社協定があって、看板スターは他社での出演は禁止。裕次郎さんや勝新太郎さんたちと共演したくてもできなかったんです。
まったくがんじがらめの私生活。

そんな中で、橋蔵さんは真理子さんと結婚。めでたしめでたし。
 

縁(えにし)

 投稿者:  投稿日:2009年10月 4日(日)22時35分35秒
編集済
  恵子さん

イベントの日はお仕事でしたか、残念ですね〜。
今回は無理でも橋様は必ず機会を作って下さいますよ。
これらの催しもボチボチと続けて行けたらと思っていますので、橋様との「縁」をお楽しみに。

ちなみに、まだ席に余裕があるようですので、もしお時間が取れたら小部屋さんにご相談ください。


古狸奈さん

「新吾の部屋」と「虹」ですか・・・。
素敵なお話ですね。きっとその時橋様が古狸奈さんとの「縁」を結んで下さったのだと思います。

「あっ! 橋蔵さんが会いに来てくれた」
古狸奈さんがしばらく震えが止まらなかったという感じはよ〜く分かります。

この感覚というか、衝撃は体験したものに与えられる何よりの「宝」なのですよね。
私の周りにも形は違っても、後で考えれば橋様が「縁の糸」を結んで下さったと思わずにはいられないと仰る方がいらっしゃいます。
これからも橋様との「縁」を大事にして応援していきたいですね。
 

わかりました

 投稿者:惠子  投稿日:2009年10月 4日(日)12時56分33秒
  梨様10月18日のトークのことわかりました。9月30日締め切りだったんですね。遅くにすみません。仕事で行けません。またの機会を楽しみにしています。  

教えてください

 投稿者:惠子  投稿日:2009年10月 4日(日)11時45分38秒
  10月18日にトーク会が催されるとのこと詳細を教えてください。私ずっとパソコンを開いていませんもんでしたから。浦島太郎状態でした。素敵なメールばかりで夢中になって皆さんの文章をよませていただいています。     惠子  

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