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私がメキシコにはじめて来た72年2月はまだJALが就航していませんでした。
その2ヵ月後、JALのメキシコ路線が開業。日本の翼が飛んできた、と老一世たちは涙を流したと伝えられています。
そのJALも経営不振から09年度いっぱいで、赤字路線のメキシコ便は廃止になる模様で、時代の移り変わりを感じます。
当時、機内に持ち込める荷物は20キロのスーツケース2個まで。
それで戦後の移住者は戦前と区別して、俗に「20キロ組」なんて呼ばれたりします。
たった20キロですから、何も持って来れませんよね。
新しい生活を始めるにも、箸1膳、電球1個から揃えなければならず、まさしくゼロからの出発だったわけです。
そんな時代を経験していますから、夫は何も捨てられないんです。
日本からの到来物で、ニッカウヰスキーのビンが空いて、捨てようとすると、「捨てるな。それには青春の思い出が詰まっている」
日系人の結婚式によばれると、テーブルの前に置かれたその日の献立表まで持って帰ってくる。招待状と一緒に紙袋へ。
「こんなんだって、50年経てば立派な移住資料だ」。いやはや。
ということは、50年前に制作された橋蔵さんの「新吾十番勝負」はれっきとした映像資料でもあるわけですね。
橋蔵映画として少しも古びてはいないけれど、後世に伝える資料としての価値もある。・・・
橋蔵さんのすばらしさを多くの人たちに知ってもらうためには・・・
そんなことを考えていたら、「大川橋蔵記念館」、あったらいいな、なんて思ってしまいました。
橋蔵さんの映画や映画雑誌、後援会誌、写真などが一堂に集められていて、行けばいつでも橋蔵さんのビデオが楽しめる・・・なんて。素敵だと思いません?
「大川橋蔵の小部屋」サイトは小部屋さんのご努力で、充実したものになっていますが、雑誌など、実際に手にとって見たいですよね。
「大川橋蔵記念館」、何とかならないものでしょうか。
ひばりさんや裕次郎さんの記念館、どんなふうにしてできあがったのでしょうか。
「橋蔵記念館」のことで、頭がいっぱいになりそうです。
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